2019年1月 TOEIC試験結果

今年初めに受けた試験の結果が、今日ネットで公開された。

 

目標は700点だったけど、正直とれる気がしなかった。「取れればいいな」くらいのもんだった。

と言うのも、公式問題集では取れたことが無かったからだ。直近でやった問題集2では、650と680だった。

 

試験の感触的にも前回よりは出来た感があったから630くらい、良くても650くらいが妥当だと思っていた。

 

結果としてはリーディング330点リスニング385点で合計715点だった。健闘したと言える。

 

f:id:mitu90723:20190204185618p:plain

と言うか、よく考えれば、受験した時より今の方が力が落ちてるという事なのか?

そんな感じはあんましてないんだけども、1月時点よりは力は着いてるような気はしてるんだけど、数字だけ見れば気のせいで、スコアが落ちてるという事になる。

 

3月の試験でとる予定だったけど、目標を早くも達成してしまった。

本格的に勉強し始めたのが10月の中頃だったから3、4ヶ月で取れるもんなんだな、と言う感じである。

この結果をもって、転職エージェントに登録し直して、転職活動を再開したい。

 

もっと正確には初めてTOEIC受けたのが去年の4月だからその1、2カ月前にアプリで何となくやってた。でも公式問題集はやったこと無かったし、試験対策らしいことは何一つやってなかった。

そこから数えても1年掛かってない。

はてなブログには振り返り機能と言うものがある。

去年の今頃どんな記事を書いていたかをメールで知らせてくれる。

それによれば、僕は下記の記事を書いていた。

www.ar30money.com

 

www.ar30money.com

 

どうやら、 TOEICの勉強を始めたのは(それを勉強と呼ぶなら)1月23日からであるらしい。勉強の継続の仕方も書いてるけど、今読み返してみると、こいつ何舐めたこと言ってんだと思う次第である。

まあこの頃は筋トレもやってないヒョロガリの純然たるモヤシだったので、こんな世の中を舐めたような事を平気で言っていたのである。

この記事で書いている、ハードルを上げすぎず、簡単なことから手を付けようという自体はそこまで的外れでは無いけど、そもそもTOEICのスコアを上げることにこだわりが見られない。この時点では受験すらしてなくて、試験をバックレない事を目標にしてたから仕方ないと言えば仕方ないけど、ただ勉強をしたいだけなのか、TOEICを取ってからどうするのかそれでしまいなのか何なのか曖昧である。

 

そんで、他の何を置いても英語をこなすという気持ちも感じられない。

今の僕にとって英語の勉強は筋トレと並んで重要なものである。

毎日欠かせないのである。やらないと落ち着かない。

 

こん時に受験してたから現在地を知ることが出来て、それは決して無駄では無かったんだけども

 

とは言え、TOEICのスコアを上げただけではなんの意味も無いし、何なら715点何て中途半端だし、英語が出来るようになった感じもない。これはマジである。

TOEIC700点は世間では英語そこそこ出来る奴みたいになってるけど、600点の時と大して変わってない。洋楽も聞き取れない。

 

転職市場でどう評価されるのか、それが大事である。年収が上がらなければ何の意味も無いのである。

 

嬉しくない訳じゃないけど、次は800点を目指したいので、道半ばである。

TOEIC公式問題集2

来週の社内のTOEIC試験に向けて、公式問題集を解いた。

まだスコアが高く無いので、スコアを登録される社内での試験は本当は嫌だったけど、2月は公式のテストが無いので、3月の公式テストに向けて模試の感覚で受験しようと思った。それと社内試験は初回が実質無料で、試験時間は就業時間としてカウントされるのと土曜日の午前中に終わるというメリットもあり損は無い。

 

問題集の結果はと言うと、リスニングは結構出来た。

7割は出来たなと思ったら案の定73問出来た。

ただ、本来全問取らなきゃいけないpart1を1問落としてたりしてるのでまだ精度低いなと言う感じだ。

あとpart2も結構落としてる。

part3・4は案外雰囲気で行ける問題もあるけど、part2は問題と問題の間隔も短いので考える時間が無いのと、一瞬集中切らすと最初の文を聞き逃したりするので最近は結構難しいと感じている。

 

リーデングは酷い出来だった。

これは解いてる間も感じていた。58問しか解けなかった。

全然進歩してない。リスニングに比べるとサボり気味だったのがスコアにも表れてる。

今日は午後から図書館に行って復習である。

 

TOEICは何か採点に幅があって、素直に解けた数でスコアが決まるわけではないけど、取り敢えず、一問5点として採点するとトータルで655点だ。

 

まだ700点に届かない。

公式問題集は4冊しかなくて、後は新式対応とかいうのが1冊だ。

何か模試自体は結構出てるけど、どれがいいのかよく分からない。

1度解いた問題ではあんまり実力を測る指標にはならないから、全部解き終わるまでに700を超えたい。

 

2018年12月 TOEIC試験結果

去年の12月に受けたTOEICの結果を昨日ようやく受け取った。

なぜか申込で操作をミスって、ネットでの結果を受け取らない方を選んでしまっていたのだ。

 

その為、結果が郵送されてくるまで悶々とした気分で過ごすこととなった。

で、肝心の結果は以下になります。


f:id:mitu90723:20190111080243j:image

 

最低でも600点は越えていると思っていたので、最低ラインはクリアした。

 

だけど密かな目標だった、年内に700を越える事は出来なかった。

ただ、確実に進歩はしてるとは思っている。

今後の目標なのだが当座は700を越える事である。

下記の表によればスコアを100点上げるために必要な時間は200~300時間くらいであるとされている。

 

これは自分の体験からも概ね正しいと思う。

とするならば、今月の試験では難しいけど、3月受験には行ける気がする。

 

よって、3月の試験で700を越える、を目標としたい。その次が800ではあるけど、それは3月の試験結果を見てからでいい。

 

TOEICのスコアを上げるために必要な勉強時間の目安
TOEIC 200
TOEIC 300
TOEIC 400
TOEIC 500
TOEIC 600
TOEIC 700
TOEIC 800
TOEIC 900
-->
100 hrs
250 hrs
450 hrs
700 hrs
1000 hrs
1350 hrs
1750 hrs
 
-->
150 hrs
350 hrs
600 hrs
900 hrs
1250 hrs
1650 hrs
   
-->
200 hrs
450 hrs
750 hrs
1100 hrs
1500 hrs
     
-->
250 hrs
550 hrs
900 hrs
1300 hrs
       
-->
300 hrs
650 hrs
1050 hrs
         
-->
350 hrs
750 h
           
-->
400
 hrs

古代ローマ

伝承によれば紀元前750年頃から、紀元前509年まで伝説上の王様が治めていた時代があるらしい。そんでその後にアナトリアから来たエトルリア人の王様がローマ支配する事になる。アナトリアってどこ?ってなる。

それはトルコのアジア寄りの部分らしい。

 

紀元前509年から共和政が始まる。こっから紀元前27年まで共和政が続く。

 

共和政って何なの?ってなる。○○共和国とかよく聞きます。

民主制と何か違うの?ってなる。

要は主権が君主以外にある政体の国家って事のようである。

だから、共和政には民主政じゃない国家もある、みたいな感じである。

民主政は君主政とは別個だけど、共和政は民衆が君主選べればOKみたいな感じっぽい。何かよく分からんけど、単なる言葉遊びみたいで厳密に違いを知る必要は無い。

 

共和政は民主政によく似ている、でも何かちょっと違う。

そんで古代ローマではそんな共和政を採用していた。政治学について調べている訳でもないし、こんな感じでいいはずだ。

 

じゃあ平民がローマを支配してたの?っていうと、違う。

元老院っていう何か選ばれしエリート達が、選出されて政治をしていた。

どうもこの元老院に選ばれる為には、兵役に就いている必要があり、それは貴族しか就けんかったっぽい。

まあ武器とか揃えれるのはそこそこ金が掛かるから、平民には無理だったんだろう。

そんで時代は下り、平民達も重装歩兵ってもんになり始める。

経済が発達して武器が安くなったのか、平民が金持ちになったのか、その両方なのかそんな感じと思われる。

 

この辺りの時期に、カルタゴって言うアフリカにあるフェニキア人の国との闘いであるポエニ戦争があった。有名なハンニバルっていう将軍が活躍したのもこの頃だ。

 

ハンニバルは活躍したけど、結局カルタゴはローマに負けて、地中海はローマのものになった。

 

この後のローマは結構横文字の人名が出てくるから面倒くさいけど、超ザックリというと、ポンペイウス・カエサル・クラッススによる三頭政治という偉い人3人による政治が行われた。

この中で、カエサルが他の2人を倒して、独裁政権を樹立した。

けど、カエサルがイキり過ぎた事をよく思わない人も多くて、裏切られて死亡。

カエサルだけでもまあまあのボリュームがある。

今は歴史の流れをザックリ知りたいので、丸ごと飛ばすけど、機械があったら個別に調べたい。

 

で、共和制が終わって帝政ローマになるんだけど、カエサルが死んでこれから帝政になりますって感じではないみたいだ。

初めは都市国家だったのが、複数の地域を征服して、広大な地域を支配する領域国家となったことでもって、都市国家の頃のローマと区別する感じで帝政という言葉を使ってるっぽい。狭義には、オクタウィアヌスがアウグストゥスという皇帝の称号を与えられた時をもって帝政が始まったとされている。

このオクタウィアヌスはカエサルの養子であるらしい。

カエサルの姪っ子の息子であるらしい。

18歳の時にはトゥリヌスと言う名前でカエサルが暗殺された時は、ギリシャに勉強しに行ってた。そんで帰ってきたらカエサルによって後継者に指名されてたとを知り、トゥリヌス青年は、オクタウィアヌスを名乗り始めた。

で、カエサルの配下の軍隊の協力を得て、カエサルが戦う予定だった中東の大国パルティアと戦うと言って、金を集めた。

そんでカエサルの後継者としての立場を確立して元老院議員になったりして権力を得て行った。

そんで、プトレマイオス朝エジプトを滅ぼして、その功績を認められアウグストゥスの称号を得た。

 

このオクタウィアヌス以降の5人の皇帝の治世をユリウス・クラウディウス朝と言う。

初めて聞いた。

 

まあ何やかんやあって次の皇帝はティベリウスという人になる。オクタウィアヌスは後継者に恵まれなかったからオクタウィアヌスの子供ではないようだ。

ただどんな関係なのか説明するのが非常にややこしい。

以下の図を見て欲しい。

f:id:mitu90723:20190101203759p:plain

 

よく分からない。けど、親戚の内のネロって子が養子になって皇帝の位を継いでティベリウスって名乗ってるみたいだ。名前を変えたのは養子になったかららしい。

 

その後の皇帝もほとんど聞いた事が無い。

5代皇帝のネロって人が、キリスト教の弾圧を行ったことで有名らしい。

 

ユリウス・クラウディウス朝は5代で終わりだからその後どうなるのかって言うと、何人か皇帝が出て来ては暗殺され、みたいなことが続いた。

でフラウィウス朝ってのが3代だけあって、後継ぎがいなかったので断絶した。

その後、5賢帝の時代にローマは最盛期を迎える。

 

何というか、ローマってずっと同じ家系が続いてたわけじゃないんだ。

ってなった。要はローマ帝国としては続いてるけど、血縁関係で言えば全く違う王朝になってる。

名前とか苗字とかごちゃごちゃしてて全然よく分からない。

○○ヌスとか○○ウスとかばっかで全然覚えれない。

 

313年キリスト教が公認されて、375年ゲルマン人移動開始。

395年ローマが東西に分裂、476年に西ローマ帝国がゲルマン人に滅ぼされる。

 

あんまりごちゃごちゃしたので年表でサックっといってしまった。

 

古代ギリシア

次はギリシアについてやっていこうと思う。

というのも、前回のアレクサンドロス大王がやって来た辺りで、僕はあれ?ギリシアってどうなったの?いつの間に滅んでたの?となり、更にその後のローマとかを考えると更に困惑してしまい、前後関係がよく分からなくなったのです。

 

そこで一旦時間を戻してギリシアをやることにしたのです。

一般的に、ギリシアは何かアテネとかポリスがどうこうって所から、アレクサンドロス大王によって、オリエントと合体して、そんでその後ローマに占領され、その後は忘れ去られる。みたいな感じでいいのでは無いかと思います。

 

ギリシア世界がイキり始めたのは紀元前3000年頃、エーゲ文明が始まった辺りだと考えられます。ブドウやオリーブといった作物の栽培に適した土地だったので、ブドウ酒やオリーブオイルといった製品に加工して地中海世界との交易をして栄えます。

 

で、何やかんやあって紀元前1200年頃に、何らかの災厄が発生し、ミケーネ文明文明が滅び、地中海世界全体で大規模な社会的変動が起こった。この辺りの時期からポリスが出来始めるくらいまでが考古学的な資料の乏しい暗黒時代と呼ばれている。

この時期にヒッタイトが滅んだりして、製鉄技術が伝播してきた。

で紀元前8世紀頃に、ポリスが出来始めた。

ポリスはそれぞれ独立はしてたけど、同じ英雄の子孫であるという同族意識みたいなものはあり、4年に1回オリンピアを開催していた。大会期間中は戦争も中止された。

具体的にどの国が支配してたみたいなことが無いから、イマイチ分かり難いけど、スパルタとアテネというポリスの2強体制みたいなもんだったみたいだ。

 

紀元前500年頃ペルシア戦争が起こった。

紀元前430年頃から404年までアテネとスパルタが争ったペロポネソス戦争が起きた。

 

この間どうやら、アケメネス朝ペルシアの干渉によってポリス同士が慢性的に争うようになり、農地が荒れて没落する農民が増えた。

多分ギリシアは一枚岩では無かったのでポリスによってはペルシアに通じる連中も出て来た。だから反ペルシアと親ペルシアで争いが激化したって事だろう。

農地を失った農民は国外へいったりして、ポリスへの帰属意識が薄れましたと、それがポリスの衰退に繋がりましたと、そんな感じで色々ごちゃごちゃ争っていた訳だけど、結局辺境のマケドニアからやってきたアレクサンドロス大王にまとめて支配されてしまった。

 

でポリスが発展していた時期に、哲学とかが発達した。

哲学ってのは数学とか天文学とか科学とかも含んでるっぽいから要は自然科学全般が発達した。有名な哲学者がわらわら出てきたのもこの時期だ。

 

アレクサンドロス大王によって、地中海世界とオリエント世界がまとめて支配されて、それによってヘレニズム文化が生まれたのは前回書いた。このヘレニズム文化はローマにも影響を与えているし、中国や日本にも影響を与えている。

 

そんでアレクサンドロス帝国は大王の死後後継者争いで崩壊しましたと、それが紀元前300年頃の話で、どうもこの辺りから、ローマが出始める。

ローマ自体はもっと前からあったけど、地中海世界で覇権争いを始めるのがこの頃で、それまでは地方勢力に過ぎなかったって事だろう。

古代オリエント 2

前回ではヒッタイトが鉄を使いこなしてたってとこまでやった。

ヒッタイトは超強かったとされている。

だが、その圧倒的な力を持っていたヒッタイトはどっかからフラフラとやって来た海の民に滅ぼされる。

これにより、ヒッタイトの製鉄技術がオリエントに広まる。

そんでアケメネス朝が台頭する。となる。

でもこんな説明聞いただけでは、「お、おう・・・」となる。

ヒッタイトが超強かったのならそれを滅ぼした海の民は更に強かったってことになる。

でも何も分かっていない。

武器では鉄を使っていたヒッタイトが勝っている(と思われる)。

であれば指導者の力なのか?でも指導者の名前も分からないよ?

戦術の違いなのか?戦術もイマイチ分からないよ

ヒッタイトが全盛期に比して弱くなっていたのか?これはエジプトと戦ってたのでありそうやね

てなるけど、特に教科書では触れられていない。

そんでそもそもこの時代の主流の戦術とかもよく分からない。

 

日本史でもそうだけど、武田氏は織田信長に滅ぼされました。

だけだと「何?じゃあ信玄弱いの?」ってなるけど、信玄は弱くないむしろ超強い。

魔王信長ですらビビってた。そしてメッチャ下手に出て、何なら「家康見殺しにすっか」くらいのもんだった。

信玄が死んでくれたから運よく助かったのだ。

ひよっこの息子は歴戦の家臣をまとめることが出来ず、偉大なオヤジと比較されまくり、小僧扱いされて死んだ。多分こんな感じだ。

そして圧倒的に、経済力では織田信長の方が上だった。

武田の領地は甲斐の山の中である。

対して信長は中央の交通の要衝を大体抑えている。

金をうなるほど持って一杯鉄砲も持ってる。

てなると何となくイメージも湧く。ただ1行で終了だと、暗記に頼るしか無くて、すぐに忘れてしまう。

 

で話を戻して、ヒッタイトなんだけどどうも、上でチラッと書いたけどこの時期エジプトとも戦ってたらしい。

つまり、もともと大国との戦で疲弊していた所に、海の民がやって来たってことだと思う。

 

海の民がどんな戦術でもってヒッタイトに勝ったとか言う記述も無い事から考えると、国同士の○○の戦いみたいなもので勝敗が決まったわけじゃなくて、もともと疲弊してた所に倭寇みたいに何度も周辺地域を荒らしまわられて、弱ってた所に追い打ちを掛けられたって感じなんだろう。

 

でまあヒッタイトは滅びた。

ヒッタイトが滅びた支配の空白地にやって来たのがセム系民族であるアムル人・フェニキア人・ヘブライ人である。

このヘブライ人はユダヤ人の前身となる民族である。

 

そのあとで台頭したのが超強い軍事力で最初の世界帝国を築いたアッシリア帝国だ。

アッシリア帝国の統治方法は力によるメッチャ過酷な支配体制だった。

このアッシリアはアッシュールバニパル王の死後、何か分からないけど衰退する。

これはマジで何かよく分かっていないらしい。

過酷すぎる支配体制の為、被支配民族の不満が高まってきて崩壊、みたいな感じっぽい。糞虫扱いされ続ければそれは不満も高まる。

 

その後4王国時代というメディア・新バビロニア・リディア・エジプトの時代があり、この辺りの時代にバビロン捕囚とかがあった。バビロン捕囚はユダヤ人のユダ王国って国があったけど、新バビロニアに負けて、ギリギリ息してるみたいな感じだった。

そのユダ王国がエジプトと組んで新バビロニアを倒そうとしてそれがバレて、ボコボコにされてエルサレムも破壊され王族がバビロンに連行された事件である。

 

次にオリエントと統一したのがアケメネス朝ペルシアである。

アケメネスというのはアケメネスさんが作ったからアケメネス朝らしい。知らんかった。

 

キュロス2世がメディア滅ぼす。そんでキュロス2世がリディア滅ぼす。そんで新バビロニアも滅ぼす。キュロス2世1代で大体統一した。

そんでその後の王様がエジプトを併合してチャンと統一した。

ダレイオス1世の時代に最盛期を迎えたが、ギリシアとの戦いで疲弊して、ダレイオス3世の時代にアレクサンドロス大王に負けてアケメネス朝は滅びる。

 

アレクサンドロスは流石にメジャーなお人なので、名前は知ってた。ただこの前後の歴史はイマイチ知らなかった。このアレクサンドロス大王の祖国がマケドニアと言う。マケドニアも名前は聞いた事あったけど、そうか大王の国やったんやってなる。

アキレスとヘラクレスを先祖に持ち、アリストテレスが家庭教師という何かそれだけですげーってなる感じの人でもある。

 

僕の中で大王は戦狂いのイメージが強い。

そんで彼の東方遠征のおかげで、ギリシア文化とオリエント文化が融合して、ヘレニズム文化が生まれた。これは哲学について調べてた時に何か出て来た気がする。

 

大王の死後、カリスマの後はクソが生まれるというのはいつの世も常なのか、やっぱ乱れる。

そして出来たのがプトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアである。

ちなみにその治世はプトレマイオス朝エジプトがB.C305~B.C30、セレウコス朝シリアがB.C312~B.C63、アンティゴノス朝マケドニアがB.C276~B.C168となっていて、アンティゴノス朝が明らかに短い。まあ聞き覚えも全然ないしさもありなんって感じである。

 

またややこしいな、日本史でも南北朝の辺りとかはややこしくてあんま覚えてないけど、それとは比較にならんくらいややこしい。

そんで横文字の名前覚えづらい。

 

今日は疲れたからこの辺りにしておこう。

世界史について 古代オリエント

世界史を勉強しようしよう思って、全然出来てなかった。正確にはWikipediaで気になった人物等については調べたりしていたが、酷く断片的だった。

最近YouTubeで歴史解説動画をみていることもあり、歴史について学びたい意欲が湧いてきている。

そこで自分で調べた事をなるべく体系立てて整理するためにブログを書こうと思う。

 

まずは古代オリエントからだ。

僕は世界史専攻では無かったから、どこから学ぶのかかなりうろ覚えな所がある。

ただ、世界最古の文明が生まれたのが古代オリエントだから、まずはこっから学ぶ感じなのではなかろうか。

 

人類はアフリカにいた猿が何やかんやで進化して、餌を求めて各地に散らばっていった。そんで何十万年か知らないけどそんなもん、繁栄してきた。

 

そんでB.C3500年かそこらにメソポタミアで文明が生まれた。

これはチグリス・ユーフラテス川辺りで農耕が開始されたことに始まる。

チグリス・ユーフラテス川について詳しく書こうとすると、結構長くなる。

今のイラン辺りで栄えた文明と覚えておけばいい。

 

何か、世界最古の文明かつ、旧約聖書とかの世界観はこの辺りから生まれてるはずなのに、僕はあまり授業で習った記憶が無い。

ユダヤ人の事とかも全く聞いていない。ユダヤ人と言えばナチスに虐殺されたかわいそうな人という認識しか、高校時代にはなかった。

 

農耕が始まるまでは、人類はそこまで密集して住むことも無く、多分まあまあ小さい単位で集住してた。

 

ただ、農耕が始まると、決まった季節になると、食料が取れるし、穀物は保存出来るしでまあまあの規模の人が固まって住むようになった。

そんで農業が進むと、全員が食料生産に関わらなくてもよくなった。

余剰の人は何か技術を開発したり、占いとか、法律とかそんな感じのことをしてたんだろう。

 

マンモスを追いかけてる時は皆が参加する必要があった。

そして分け前は平等だった。

皆がゴリゴリにマンモスと削り合ってるときに、一人のんびり(本人に志があるにせよ)星を観察してたらコイツ舐めてんのかってなる。だから皆仲良くマンモスと殺しあってた。

 

ただ農業開始後一足飛びに定住化したわけじゃない。当然その進歩は段階的なものだった。 

初期の農業では、雨水を利用した乾地農法・肥料を使わない略奪農法が行われていた。これらの農法は、収穫量が不安定で移動が必用だった。

灌漑農業が発達してから定住が出来るようになった。

灌漑とは、雨水に頼った農業では無く、人工的な溜め池や用水路を利用する方法のことだ。つまり、これがあったから、水の利権をめぐって争いが起こったという事なんだろう。そして争いがあったから、技術も発展していった。

 

でまあ定住化が進み、余剰の食糧が生まれた事で人口が増加し、社会的分業が進んだ。

上で書いたように、職人とかみたいな、非農業階級と神官とか王様みたいな非生産階級

まじで何も生み出さない階級である。この王様とかが余剰の食糧を独占した。

現代もそうだけど、誰でも出来る単純労働の地位が低いのは今も昔も変わらない。専門知識やマネジメント能力、モノを生み出す技術力が無ければ、誰でも出来ることをやるしかない。そんでその層が一番人数が多い。だから、希少性もないから安く買いたたかれる。

体も特に頑丈で無く、命を的にする度胸も無いとなれば、確かに搾取されるしか生きる方法が無いのも無理はない。

頭が悪くて、カリスマ性も無くて、体も弱くて、根性が無い。だったら安くこき使われても文句言うなよってことだ。世知辛い。大昔からそうなんやね。

 

ちなみにメソポタミア文明はどっかからやってきたシュメール人が開発したものとさている。まあまあ高度な文明なので宇宙人に作られたんじゃね?とか言われてる。

それはどうでもいい。昔過ぎてよく分からないだけだろう。太陰暦とか楔形文字とか60進法とかを開発したらしい。

太陰暦は月の満ち欠けを数えたもので、まあ農業をやるために必要だったんだろう。

文字についても、交易とかを広範囲で行っていたみたいなので、何だかんだあった方が便利だったんだろう。それでなくても、人数が増えたら連絡の手段が声だけだと怠くなる。あいつ何言ってたっけ?てすぐになる。

それでイライラしてた所、頭いい奴が文字を開発したんだろう。

 

60進法は何に使うんだろう?

よく分かんないって思ったけど、普通に時計とか60進法だった。

ただ時計以外分かんない。何かメソポタミア人は、惑星の周期を測るために用いたらしい。めっちゃ頭の良い人達だったんだろう。

 

で、何やかんやでバビロニアが建国される。

古バビロニア王国というらしい。バビロン第一王朝ともいうらしい。

第二もあるの?って思う。ある。だけど結構説明がごちゃごちゃしてて、順を追って見てかないとすぐわけ分からなくなる。

この王国はセム系民族が作ったもんらしい。セムとかハムとかのあれである。

ユダヤ人もこれ系の民族だ。

この国の第6代がハンムラビ王だ。これは流石に名前は聞いた事がある。

「目には目を歯には歯を」ってやつだ。

 

その次に台頭してきたのは、ヒッタイト帝国である。

鉄製の武器を使ってどうのこうのの一族だというのは何となく、知ってた。

B.C15世紀にトルコ辺りからやってきた。

こいつらが何で製鉄出来たのかはよく分かんない。

単純に原料が潤沢にある地域だったのかも知れんし、何か皆が青銅を使ってた時に鉄使ってた凄い奴ら!っていう情報しか出てこない。

まあ暗記するだけならそれでいいけど、何かその何でこいつらだけ?っていう背景を知らなければモヤモヤするっていうか、あんま頭に入ってこない。

 

長くなったので続きは分けたい。

こんな教科書ではかなりサクッと終わらせる所を自分で調べるとまあまあの分量になってしまった。もうこの時点で結構キツい。

 

現代はおろか、中世にも辿り着ける気がしない。